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久しぶりに100%の恋愛小説を読んだ気がします。

銀行の支店次長である44歳の秋野智之は、部下の謝罪の付き添いで箱根へと行ったことがきっかけで、部下である森村茜に恋をする。
しかし、自分は3人の子供のいる家庭を持っているし、支店長候補という責任のある立場であることから、その気持ちを隠し、気付かないふりをして過ごそうとする。

沸き立つ恋愛感情と理性の板ばさみとなった智之の選択は・・。

といったようなあらすじです。

まさに分かりやすい不倫の恋愛小説、といったような話ですね。笑
あまり免疫のない女性なんかからは 「不倫とかする人はダメだと思う」 と一言切り捨てられそうな感じです。

また、タイトルにもある「ありふれた魔法」というのはスピッツの曲から。
正直、こういった表現が多くて、文学としてはどうなのかと何度も思ってしまいました。
現代のアーティストを何の補足もなく当たり前のように表現するのは、何年か後のことを考えたら障害になるのでは、と思ってしまうし、実際に文庫化された今では少々不快となる表現もありました。
まあその辺は関係ないとしましょう。

作品自体は、とても作品の流れに忠実なものだと思いました。
作者の主張が目立って表に出ることなく、話が淀みない流れで進んでいく。

しかし、こういうものを見ると理性と本能の矛盾を実感します。

家族を大事にする中年男性という形は正しい。当たり前ですね。
20代の若い女性に恋をする中年男性、これも正しいと思います。(人によっては汚いとか年甲斐もないとか表現されそうですが)

ここに家族を持った中年男性が20代の女性に恋をするのは、となると間違っているとなってしまいます。

一見当たり前ですが、よく考えるととんでもない矛盾のように感じられます。

これは妻以外の女性に恋して何らかのアクションを起こすことが、家族への悪い影響を与えるということを前提としているものです。また、その前提が完全に正しいものだという前提のあるものです。
しかし精神的なもので、外部の女性との接触が =悪 となる基準とは、一体どこで定義されたものなんでしょうか。

一般的な価値観というものは時代によって変化するものだし、時代の定義に身の全てをゆだねるというのはいかがなものか、と思ってしまいます。
全ての人が価値観について十分に考えた結果、自身の定義を形作っているのであれば問題ないのですが。

しかし、作品の中ではほとんどそれが =悪 として書かれています。
基準についての問題提起をしたからには、描写のリアルさだけではなく、何らかの答えを残してもいいのではないかと思ったものです。

中々常識の範疇から抜け出せないものですね。
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