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2009.01.31 ついに
ついに、卒業論文の発表が終わりました。

感無量という感じでしょうか。しかし周りの発表があまりに酷かったせいであまり終わった気がしません。笑

とにかく、終わったということ。
自由を手にしたということ。笑
これだけは確実です。

まあ来年からも研究生活だから、あんまり変わらないんですけどね・・。

日本一周でも行ってみようかという気分です。笑
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2009.01.28 私事
長かった卒論生活もついに明後日で終わり。
長かったような、短かったような。
もう学校で毎日のように会っていた研究室のメンバーと会うのもあと二日だと思うと、
多少物悲しいですね。

来年度からは自分一人だけ学生として残る。
二年遅れは自分で選んだものだとしても、多少の不安が残るものです。

あと二年楽しく自由に生きれたらいいなあ。
とりあえず卒論が終わったら、吉祥寺の東急の裏のスタバあたりで
一日中、本でも読んでのんびりしていたいです。笑
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「おれはねえ、逃げるとかそんなことはどうだっていいの、旅行行ったらもちろんおれはへらへらするんだよ、でもへらへらしてそれで嘘に思えなかったらそれでいいの。飽きるまでへらへらしてたいの」

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間髪いれずに角田さんです。
同じようなテーマを扱っているということで、「エコノミカル・パレス」に続いて「みどりの月」を読み直しました。

家庭を持つことを使命と思い、一人の男と同棲をするまで漕ぎ着けた南。
しかし、同棲相手のキタザワのマンションにはキタザワマリコと名乗る女とその恋人であるサトシの二人の同居人がいた。
不満と違和感を感じながらも同居生活を認め、そこに自分の世界を形作ろうとするが、南は3人の共同生活に巻き込まれていくだけだった。

やはり奇妙な同居人、決定付けられない生活という類の話です。

「ここへ引っ越す以前、私はだれと暮らしたいと思っていたのか。私はだれと暮らしているつもりになっていたのか。」
作中の、このフレーズが心に残りました。

誰かと暮らしていたいと思っていたわけではない。暮らしている相手が誰でも大して問題はなかった。
自分の望む世界、生活を欲していた。 と言ったような感覚でしょうか。

話は本の7分目くらいを迎え、さあこれからどう纏めるのか、と思った瞬間に終わりました。
二つの話が入っていたんですね。笑
この作品はタイトルの「みどりの月」と短編である「かかとのしたの空」の二つの作品から成っています。

ここで終わるのか、というところで話は終わりました。その後味の曖昧さが作品なのかも知れませんね。
しかし前作と同じく、ストレスがどんどん溜まる作品でした。笑

価値観にまつわる話という雰囲気があります。
人はきっと、自分の領域の中では自分の価値観がベースの世界があるべきだと考えるのでしょう。

--(多分、レビューはここまで)--

僕が以前にベンチャー企業を経営する研究室の先輩に言われた言葉が思い出されます。
「自由に生きるのか、何かに従って生きるのかを選べ。もし自由に生きたいのであったら、どの状況でも自分の力だけで乗り越えられるだけの力をつけろ。それができないのであれば、普通に生きろ」

人は往々として、自分の欲求だけを求め、それに対する努力は惜しむものです。
また、思想ばっかりが先行きするものです。

言葉遊びは楽しいですが、現実に生きるというのは当たり前に大事なことですね。
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久しぶりに100%の恋愛小説を読んだ気がします。

銀行の支店次長である44歳の秋野智之は、部下の謝罪の付き添いで箱根へと行ったことがきっかけで、部下である森村茜に恋をする。
しかし、自分は3人の子供のいる家庭を持っているし、支店長候補という責任のある立場であることから、その気持ちを隠し、気付かないふりをして過ごそうとする。

沸き立つ恋愛感情と理性の板ばさみとなった智之の選択は・・。

といったようなあらすじです。

まさに分かりやすい不倫の恋愛小説、といったような話ですね。笑
あまり免疫のない女性なんかからは 「不倫とかする人はダメだと思う」 と一言切り捨てられそうな感じです。

また、タイトルにもある「ありふれた魔法」というのはスピッツの曲から。
正直、こういった表現が多くて、文学としてはどうなのかと何度も思ってしまいました。
現代のアーティストを何の補足もなく当たり前のように表現するのは、何年か後のことを考えたら障害になるのでは、と思ってしまうし、実際に文庫化された今では少々不快となる表現もありました。
まあその辺は関係ないとしましょう。

作品自体は、とても作品の流れに忠実なものだと思いました。
作者の主張が目立って表に出ることなく、話が淀みない流れで進んでいく。

しかし、こういうものを見ると理性と本能の矛盾を実感します。

家族を大事にする中年男性という形は正しい。当たり前ですね。
20代の若い女性に恋をする中年男性、これも正しいと思います。(人によっては汚いとか年甲斐もないとか表現されそうですが)

ここに家族を持った中年男性が20代の女性に恋をするのは、となると間違っているとなってしまいます。

一見当たり前ですが、よく考えるととんでもない矛盾のように感じられます。

これは妻以外の女性に恋して何らかのアクションを起こすことが、家族への悪い影響を与えるということを前提としているものです。また、その前提が完全に正しいものだという前提のあるものです。
しかし精神的なもので、外部の女性との接触が =悪 となる基準とは、一体どこで定義されたものなんでしょうか。

一般的な価値観というものは時代によって変化するものだし、時代の定義に身の全てをゆだねるというのはいかがなものか、と思ってしまいます。
全ての人が価値観について十分に考えた結果、自身の定義を形作っているのであれば問題ないのですが。

しかし、作品の中ではほとんどそれが =悪 として書かれています。
基準についての問題提起をしたからには、描写のリアルさだけではなく、何らかの答えを残してもいいのではないかと思ったものです。

中々常識の範疇から抜け出せないものですね。
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2009.01.25 2000円札
今日久しぶりにコンビニのATMを使って、5000円を下ろしたら、
2000円札が2枚と1000円札が出てきました。

ちょっと懐かしい気分にもなりましたが、どうせ使い勝手悪いしなと思い、
1枚はモスでスパイシーチリバーガーセットに使い、
1枚はコンビニでお茶を買うのに使い、

一瞬にして綺麗な1000円札に変わりました。

しかし、2000円札を嫌悪する理由はわかりますが、何でこんなにも2000円札が流通しなかったのだろう。
ドルで考えると、10ドル札、20ドル札、50ドル札、100ドル札、とあり、
2000円札が流通している状態の円と変わらない状況ですね。
しかもドルの紙幣を使っている時には特に違和感もなく20ドル札を使っていました。

2000円札は自動販売機で使えなかったり、不便なことが色々あるので嫌われますが、
なんだか社会の方が2000円札をはじいているように見えますね。
記念硬貨のような扱いにしたいのでしょうか。
発行枚数も最近ではどんどん落ち込んでいるようです。

他の紙幣と同じように使えたら、不便ではないと思うのですが・・。
やっぱり一般のユーザーの使いにくいっていうイメージが大きい気がしますね。
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2009.01.25 初雪
新宿でバイトをしているんですが、今日の夕方頃窓の外でちらちらと雪が降っているのが見えました。
思わず「やった!」と叫んだものですが、すぐに、積もったら電車動かないなとか、道ぐちゃぐちゃになったら嫌だな、とか思ってしまう自分がちょっと嫌でした。

でも、綺麗なもんですね。
一瞬だけだったけど、ちょっとだけいい気持ちになりました。

海の近くに住んでるから、いつも夏が待ち遠しいけど、雪がよく降ってウィンタースポーツとかできるところに住んでいたら、冬が楽しみなんだろうな。
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以前にも書いたように、最近特にカーペンターズがマイブームです。
youtubeを見ていたら、リチャード・カーペンターのピアノソロ演奏がありました。



I need to be in love と Rainy days and Mondays
どっちも大好きな曲ですが、ピアノソロで聴くとまた違っていいですね。
昔の音楽はクラシックでもポップスでも、冗談みたいに綺麗な世界がありますね。
今の音楽は、金と自尊心と惰性と中身のない歌声が見えるばかりです。

というか、いいものが残っているだけですかね。

リチャードの弾くフレーズの節目節目に、歌声を待っているように感じられるのはきっとただの気のせいでしょう。
冬は感傷的になってしまう季節ですが、無駄な感傷は物事の価値を下げる意味しか持たないですね。
しかし歴史や伝説の話になったらそれも、許されるんじゃないかなとも思います。

本当の歌声を持つ人も段々といなくなってしまうだろうから、感傷に浸るくらいは許してもらうことにしましょう。
いい世界にいい歌を。


I know I need to be in love.
(分かってる、私は恋をする必要があるわ)
I know I've wasted too much time.
(分かってる、随分と時間を無駄にしてきた)
I know I ask perfection of a quite imperfect world.
(分かってる、不完全な世界に完全を求めていると)
And fool enough to think that's what I'll find.
(・・そして愚かにもそれを見付けられると思っている、と)

(I need to be in love / carpenters)
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札入れから二千円を出し、硬貨投入ボタンを押して、小銭入れの中身を全部投入口に入れる。三万二千四百三十七円、無感情に計算をすませ、これでよろしいかとふたたび画面が問いかけてくる。もっと入金したいがしかし、財布にはもう、生ビールの一杯無料券と焼肉屋の割引券しかない。

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文庫の、裏の説明文に「フリーター文学」と、謎な説明がされていました。
フリーターのための文学?フリーターを描いた文学?両方かな。

34歳フリーター。女性。独身。物書きの仕事をしているが、軌道に乗ったりはしない。同棲相手は失業中。仕事を探そうとしない。お金はどんどんと無くなっていく。

あらすじです。

前に読んだときは、特に印象もなかったんですが、読み返してみると中々すいすい読めました。
喋り口調の文章も久しぶりで、きっと昔はこれが許せなかったんだと思うけど、今ではそんなに気になりません。

作品を読みきって、この作品はどうだったかと考えると「で、どうしたの?」と思わざるを得ないです。
フリーターの悩みを聞いているような。そういう意味では、徹底して書かれているように思えます。もしそういう趣旨だとしたら秀逸ですね。
きっとそういう人が読むと「すごい分かる」と言うんだろうけど、そういうことじゃないんじゃないかなと思ってしまいます。

フリーターを考えるというのは難しいですね。

就職をしない。仕事に魂を求める?
就職をしても、時給換算するとバイトの方が得じゃないか、と知り合いのフリーターの人が言っているのを聞いたこともありますね。不労収入をやけに気にしている人もいました。
あと、普通の人が安定を求めて就職をして会社に従って働くということの、「安定を求めて隷属的に働く」というのを忌み嫌うという傾向があるのかな?

心の闇、というようによく表現されますが、どちらかというと、今いる場所の足場が少しずつ崩れていってるのを見て、「ああ、なんかやばいかもな」と思っている感じの方が近いような気がします。

僕自身、みんなが自由に生きればいいと思ってしまうタチなので、しっかりと聞いたことはないですが、なんとも分かりにくいですね。

というか僕も常に価値観を自由に生きたいと思っていますが、大学にも行くし大学院にも行くし、きっと就職もするだろうし、それがなんか問題でもあるのかな?と不思議に思ってしまいます。

別にライオンは魂を込めて鹿を狩っているわけではないですからね。
不思議ですね、フリーター。

というような作品です。
ちょっと違うか。笑

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わたしが死んだとき葬式で誰が泣いてくれるだろうと考えることがあるとミユキは言った。そんなことには意味がないとわたしは思った。自分の葬式を見ることはできないからだ。だが、自分の葬式を眺める方法が一つだけあるのだと彼女は言った。

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文庫版で初めて読んだので気付かなかったのですが、とんでもないタイトルです。(副題(?)はハードカバーのみに書いてあります)
一見、ハウトゥー本かと思ってしまうようなタイトルですが、内容は全然関係ありません。

村上龍さんのタチの悪い下ネタジョークですね。この点に関してはあまり好ましく思っていません。
同じようなことを他の人も思っていたらしく、タイトルに関しては非難轟々です。笑

実際に本を読んでも捉えづらいあらすじを簡単に。

「わたし」は複数の人間に「プラントハンター」と呼ばれるビジネスをしていた。
それは他者からの依頼で女性をオーバーホールするという仕事だった。
所有者が「壊れた」と思った女性を回復させる、もしくは長期的に預かるというものである。

夢を見ているような感覚で「わたし」は庭園の中にいた。
スーツの上にレインコートという格好で、持っているものはミユキが残した「明日からここに住みます」と書かれたメモだけ。記憶にあるのはミユキの言っていた「自分の葬式を見る」という話と、今ミユキを探しているという事実だけ。

目の前の現実と記憶は一致しない。
夢のような空間の中で、記憶を一つずつ手繰り寄せていく。


少々アバウトに書きましたが、こんなところです。
決して、「2日間で4人の女とセックスする方法」が書かれた本ではありませんね。笑

見解は難しく、ある人から見ると「金を転がすのが得意で道楽の限りを尽くした人間がアブノーマルな性のステージを無意味に開拓しようとしている話」というものにもなるようです。

本当にそれだけの話ならば、あれほどの奥行きは作れないと思うので、そうではないと自分では思っていますが、今一フォローしにくいものです。
自分でもそう思っているというのが一点。性の描写や、人間性の構築の流れからその不動性についてまで、価値観の広がりを感じられるような肉厚な話が随所に見られたという点もあります。

また、以前の記事に書いた、「SMは最も深いところで矛盾を抱えている」というフレーズ。SMの是非について。
これは以前より自分が思っていたけど、中々表現できなかったことの一つでした。

作中でも語られていますが、サディストとは支配欲を持つ者。
その支配欲の起こりとは、コンプレックスが要因となる。
お金が十分にある人はお金に対する欲はあまりないけど、お金がない人は必要以上に欲しがる、という考えの発展系ですね。

つまりサディストが欲しがるものというのは、より手に入りがたいもの、より希少価値の高いものであるはずが、一般的なSMのプレイでは比較的手に入れやすいもので行われる。手に入りにくいものは、常識的に手に入らないというギャップですね。

それと作中では上記と合わせて語られてはいないけど、SMの重要な要因が「立場」による状況だということ。
サディストが求める価値と、サディストとマゾヒストの力量関係のシーソーゲーム感が、どこまでいっても究極形に辿り着かないように思われます。また、その立場作りの究極型は現実的にはほぼ不可能だということ。

要はそのいたちごっこに終わりがないために、ある妥協点が必要になっていて、それによってどこまでいっても「支配ごっこ」になってしまうのではないかということです。

経験則がないために、客観視点からの意見にはなりますが、イメージプレイを例に挙げてみると
「イメージプレイは真の愛だよ。実際に経験してみて、さらに究極まで突き詰めてみないとこれは分からないよ」 と言われても、「いやあ、それは流石にごっこでしょう」 と言わざるをえないというものです。

と長々とSMに関する見解でしたが、「何も知らない奴じゃ分からないよ」と言われてしまいそうですね。
それも仕方ないことです。


ともあれ、作品自体は中々読み進みにくいものではありましたが、中身のあるものでした。
読んでも損はないという感じです。

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見事に風邪をひいてしまい、2日寝込んでしまいました。
久々に40度まで熱が出てしまい、「いっそ殺してくれ」とまで思ったものです。笑

しかしバファリン効きますね。今まであんまり意識して薬を飲んでいなかったけど (というか薬飲むと体が弱くなるという先入観があったために、あまり飲まなかった)、一気に楽になりますね。
アスピリン効果恐るべし。

風邪をひいた時の我が家の三種の神器は、
・生姜
・はちみつレモン
・りんご

です。なんか美味しいカレーが作れそうな。笑

特殊かは分かりませんが、いつもお粥に生姜をこれでもかというほど擦って入れます。
ネギなんかもいいらしいですね。

なんだか湯豆腐でも食べたくなってきました。
散々生姜ばっか食べてたから今日はポン酢で湯豆腐かなあ。
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